僕は 10 月を迎えたらどうなっているのだろう

ちっともワクワクしない。まだ悶々と悩み続けながらも日常を過ごしているかも知れないし、あるいは悩みから解き放たれて気分が良くなっているかも知れないし、今のようにこうして部屋にいずにどこか人知れぬ遠い場所にいるかも知れないし、もしかすると現世に存在しているかどうかも分からない。正常の範囲の精神状態から狂わない限りは生きてはいるのだろうけれど。
全く人間関係というものは不可解で複雑だ。一年前に変なおじさんの言っていたことは真実だった。あのおじさんは、きっと僕と同じだったのだ。人間関係の構築がヘタクソで、世界、とりわけ自分を取り巻く環境に対してある種の理想という名のただの幻想を抱いていて、それが叶うはずのないことを知ってか知らずか、あんな奇特な行動を見せていたのだ。そして周りを寄せ付けなかったから、ずっと一人でいられた。人間関係とは無縁に、金だけ稼いで生きてこられたのだ。それを僕は奇怪だからと間接的に追い出して、おじさんの場所を僕のものにしてしまった。僕はきっと恨まれるべき人間だ。
恨みが僕に巡ってきていないとしても、今この状況で僕はおじさんの仕返しを受けているのかも知れない。「俺を追い出した挙げ句、俺の忠告を聞かずにほいほいと人を受け入れてしまったから、お前は苦しんでいるのだ」と。あの場所は、ずっとおじさんの場所であるべきだったのだ。おじさんだからこそ、あの環境でやってこられたという面もあるのかも知れない。
こんなに苦しいのは、相対的な物差しは別として、僕の物差しでは人生始まって以来だ。ピンチはチャンスと言うが、このどこがチャンスなのか。チャンスの糸口すら見ることもできなければ、逃げ場なんてどこにもありゃしない。まさに四方八方が袋小路。逃げられない。