垣間見る空と自然

帰りの電車の窓から、夕焼けを吸い込んでだんだんと青から灰色に変わっていく空を見て、気分が悪くなった。
窓から地面と平行に目を遣れば、日の暮れてビルや家が黒みがかった街並みが見える。けれどもその上には、およそ 100 キロメートルほどの高さの空が周囲 360 度に悠然と広がっているのだ。人間の暮らす街並みなんて、せいぜい水辺でない限られた土地にあってしかもその地面から数十メートルの高さしかないだろう。夕日を多い隠さんとしている大きな雲から離れてぽつりと浮かんでいるはぐれ雲にすら届きもしない。小っこい! 人間のスケールはあまりに小っこい! その小っこい人間が狭い場所にひしめき合うように建物を建てて、うじゃうじゃ精一杯生きている。
気分が悪い。何故我々はこんなにも必死なのか。何故取るに足らないことに囚われて一人で勝手に頭を悩ませても胃に痛みを感じても、夕焼けの空はこんなにも広くこんなにも郷愁的かつ幻想的なのか。けれども実際の出来事もこの空も等しく現実だ。ただ空は日が暮れるからそれに合わせてあの階調を彩っているだけで、たかがちっぽけな人間一人一人の都合なんて全く関係しないし考慮もしない。小っこい人間の僕は、自分と自分の周囲のことしか気にしない。僕は空が羨ましい。だからきっと、気分が悪い。
人間が人間だと自覚する前からも、この夕方から夜に移り行く時に生まれる夕空の光景は変わらないでいるのだろう。古今和歌集でも歌われているくらいだから、1000 年もこの情景を留めて変わっていない。そして多分、人類が滅んで人間が誰一人としていなくなったとしても、この光景は変わらないんだろうな。
自然というものには人間は勝てない。大地讃頌を歌おうが地鎮祭を執り行おうが、自然は振り向かない。自然は人間を生かし、時には殺す。いくら賢くなっても人間なんて自然にとっては所詮取るに足らないものなんだろう。
僕は起きて飯を食い、糞尿をし、働いて、寝るしかない。