長くても無くても困る髪の毛や

当然のことだけれども、髪が以前と比べて伸びている。実家に滞在していた二ヶ月前に自分で満足行くように切ったが、もうその頃に感じたさっぱり感はなくなっていて今はもっさりとして鬱陶しい。客観的に見ても重苦しい。
僕は拘束される時間と経済的・精神的な面から、あまり散髪には行きたがらない。ちょうどこの二年ほどは散髪には行っておらずに自分で切っている。それでも外でおかしな目で見られたり後ろ指を指されたりするようなことはないから、一応はまともに切ることができているのだろう。
だから今回もまた自分で切ればいいのだけれども、その自分で髪の毛を切るという行為が面倒くさい。非常に、面倒くさい。
実家にいる時には風呂場に大きな鏡があったから、素っ裸になってその前で切ればそれで済んだ。切った髪の毛は排水溝の蓋の部分の網に引っ掛かってそれをつまんでゴミ箱に捨てればいい。毎日でも行える簡単なことだった。
けれども、実家にいない現在はそれが気軽に行えない。風呂場には鏡がない。排水溝の蓋の網目も細かくない。万が一髪の毛で排水溝が詰まってしまったら大変だ。だから実家でのように風呂場で髪を切ることができない。
すると部屋で切ることになる。風呂場でもないのに素っ裸になるのもおかしいから、部屋では服を着てその上にナイロン製の雨合羽を羽織る。襟から髪の毛が入り込まないように首の部分にタオルを巻いたりもする。切った髪の毛が残らないように、床一面に新聞紙を敷いたりもする。このように部屋で髪の毛を切る場合、素っ裸になればいいだけの風呂場で切るのと比べて準備に甚大な手間が掛かる。
準備だけじゃない、後始末も大変だ。雨合羽をはたいて、付着した髪の毛を全て落とす。静電気の都合なのかどうか分からないけれども、ナイロンと髪の毛は容易に離れない。首に巻いたタオルに付いた髪の毛も全て落とす。こちらもタオルの繊維の間に髪の毛が入り込んで容易に取れない。あとは床に敷いた新聞紙をまとめてゴミに捨てる。
全てが終わったつもりでも、雨合羽の下に着ていた服に短い髪の毛が付いていたりして、ちくちくが後々まで残る。もうこんなんじゃ精神的な反発すら素直に諦めて散髪へ行った方がいいような気もしてきた。