尊敬、リスペクト

僕は昔から誰かを尊敬したことがない。ただ昔から僕の周りには、世間一般的に尊敬に値する人はおそらくうじゃうじゃいたんだろうと思う。問題は、僕がそういう誰かが身近にいてもその人を尊敬する気持ちになったことがないということにある。生まれてからずっと、僕は尊敬するという気持ちを知らない。尊敬ということ自体の意味が、解らない。
尊敬って、何だ? 文字を分解すると、「尊び」「敬う」。和英辞典で二つを調べると、「respect, respect」。同じだ。つまり超リスペクトするということなんだろう。いや、リスペクトって、何だ? 英和辞典で調べると、「尊敬」。駄目だ、日本語で理解できない言葉を英語で理解しようと思うことが間違っている。
だから国語辞典を使う。「尊敬」を調べると、「他人の人格・行為などを尊び敬うこと」。「尊び」「敬う」こと? 答えになっていない。「尊ぶ」を調べる。「敬まって大切に扱う」。敬う? 「敬う」を調べる。「相手を尊んで礼をつくす」。「尊ぶ」はさっき出た。礼をつくす? 「礼」を調べる。「敬意を表すこと」。 敬意? 「敬意」を調べる。「敬う気持」。 また「敬う」だ。堂々巡りじゃないか。もう駄目だ。国語辞典では僕の疑問を満たしてくれない。意地悪だ。それとも普通の人は、「尊敬」という意味を生まれながらに知っているとでも言うのだろうか? 少なくとも僕は知らない。
「尊敬する」とはどういうことなんだろう? 単純に「すげー」とか思うことだろうか? それでいいのなら、僕は何度も尊敬する状況に出くわしたことがあるということになる。けれども僕は、何かの特別な技量を持った人を見ては「すげー」と少し感じただけでそのすぐ後には「うらやましい」に変わり、やがては必ず「こん畜生」と思ってしまう。尊敬に値する人物に対して、尊敬する気持ちを通り越して羨望、そして嫉妬の気持ちを抱くのだ。
おそらく僕は、他人にではなくて他人が特別な能力を持っていることに対して嫉妬している。それはきっと、僕自身が他人に誇れるような能力を持たないからなんだろう。そして同じような能力を持ちたいと思う。能力が欲しい、能力が欲しい、能力が欲しい。けれども願うだけでは能力は手に入らない。努力して磨かなければならない。それには時間と根気が要る。ただそれを面倒臭いと思うから、結局自分から動いて能力を手に入れようとはしたがらない。だから他人の能力を見せ付けられると、無意識にいらだちを覚えてしまうのだ。そうに違いない。
努力もせずに嫉妬をし続けるなんて、嫌な人間だな。僕はこれ以上自覚のない嫌な人間になりたくないから、誰かを素直に「すげー」と尊敬できる人間にならないといけない。