日曜日に働いても幸せになれない

休日には休むべきだ。そのための休日じゃないか。日曜日は休日なんだから、コンビニもスーパーもマクドナルドも全ての店が閉まっていないといけない。日曜に店を開けているから、コンビニ店員もスーパーの店員もマクドナルドの店員もわざわざ休日に働かなきゃならなくなる。本当はその人達はみんな家にいたいはずだ。家族がいる人は家族と過ごしたいはずだ。そのための日曜日なんだから。
日曜に働いて平日に休むなんて意味がない。それは単なる代替、間に合わせだ。法律で従業員を休ませなきゃいけないから休ませているだけで、そういう法律がなかったら一年中 365 日働かされるに決まってる。恐ろしい。
完全に日曜を休みにすると経済が機能しなくなると言うのなら、そんな経済なんて要らない。日曜は確かに雇用を生み出しているかも知れない。けれども消費は単純に考えると日曜を休みにすればその分平日や土曜に回ってくるのだから、平日の雇用をもっと増やせばいい。
消費者からすれば、日曜に店が営業しているのは便利なことに違いない。けれどもそれは日曜に働いている人がいるから便利なだけだ。彼らの時間を搾取して、便利だ便利だなどと喜んでいるのは愚かだ。僕が以前に日曜のバイトに入ったときにはずいぶん損な思いがした。だから日曜日には買い物をできるだけ控えている。もしも日曜日に買い物をするときは、店員に感謝しないといけない。
とにかく日曜に働く人が出てくるから、全ての悪いことが始まる。学校は小学校から大学まで日曜日はどこも休みだ。学校に通う子供が、日曜日に働かされる親をどう思うだろう? パパはお休みなのに働いてるから僕と遊んでくれないよ。ママは知らないおじさんとどこかへ行っちゃった。寂しいよ。そうして家庭崩壊が始まるかも知れない。不幸の始まりだ。
幸せはどこにある? 仕事には幸せはない。飲み会にも幸せはない。もしも見出したとしても、それはまやかしの幸せだ。偽物だ。本当の幸せは、家庭にある。家族との触れ合いにある。かけがえのない時間が、限りない幸せを生む。
それを仕事が奪う。何の慈悲もなく、家庭から幸せを奪っていく。そして金だけを落としていく。休日に働いて稼いだ金で、家や家具だけは立派になる。確かに豊かだ。けれども一方で家族との繋がりは貧しくなる。触れ合いに費やせるはずだった時間はもう戻らない。そしてそのまま子供は成長し、別離する。やがては自分の死を迎える。残った思い出は、稼いだ金で買ったビデオカメラに 100 分も満たない。子供は自分を産んだことだけに感謝し、骨壺を抱く。あるいは、恨んでいるかも知れない。
だから日曜日は、誰もが休まないといけない。フランス人の多数が「もっと働きもっと豊かに」と掲げるサルコジに反発するのも、フランス人のそれは宗教的な価値観からかも知れないが、解る気がする。
幸せを実現します党なんていうのがどこかにあるが、本当に実現するつもりなら日曜は完全に休みにすべきという政策くらい打ち出すべきだ。