教授の死

僕が大学生の頃に属していた研究室の教授が死んだ。心筋梗塞だった。確か僕の親よりもまだ若い年齢だったはずだ。僕は様々な思いが混じってショックを受けた。
僕はそれをインターネットの新聞社のサイトで知った。なんとなくネットを見ていたら、新聞社の死亡記事だかおくやみ記事だかに目が行って、よく見るとどこかで見たような名前がある。頭で解釈してから、それが教授が死んだことを伝えているのだと気付いた。
僕は大学時代から怠け者で卒業に必要な単位も足りなかったほどだったから、よくその教授に教授室に呼ばれては「グータラ病に罹っている」などと言われていた。あるいはただ揶揄されていたのかも知れないが、不思議と何の反感も抱くことはなかった。僕は教授に突き放されるわけでもなく、卒業に向けてやるべきことリストなんていうのも向こうで作ってくれるほどだったから、むしろ信頼して感謝の気持ちを覚えてさえいた。
それが死んでしまったのだという。
通夜に行こうかどうか迷った。同じ市内に在住していたはずだから、通夜や葬儀も自転車で行ける範囲にある寺か斎場で行われるんだろう。それなら何のためらいもなく行ける。ためらいのないなんてそうそうあっちゃ困るんだけど仕方がない。
それからこんな一大事だから、当時同じ研究室に在籍していた人たちからの連絡があるかも知れない。だからそれをまず待ってみようと思って待ったものの、誰からも何の連絡も来ていない。そしてこれからも来ることがないことを、僕は知っていた。
正直なところ、寂しかった。きっと僕以外のみんなは、今はクモの巣のように密な連絡を自然に取り合っているに違いない。僕はすっかり蚊帳の外だ。おそらくみんなは僕のことなんかどうでもいいと思っているに違いない。それに僕の方でも、昔の人と連絡を取り続けるというのも煩わしくてどうでもいいという態度で放っておいたのだから、こっちの都合で連絡を寄越せなんて思っても迷惑なことでしかないだろう。
ところでお通夜はどこでやるんだろう? 場所が分からなければ、行きようにも行けない。結局、こっちからクモの巣に歩み寄って交叉点を作らなければならなかった。


そんな夢を見た。
何で今さらこんな夢を見たのかは分からない。けれどもとても現実感の大きい夢だったからそれが余計に嫌だった。何も教授に死んで欲しいからこんな夢を見て殺したわけじゃなかったけれど、当時の研究室の人間と今現在の繋がりがないのは現実と同じだった。
繋がりを欲している。だから多分、こんな夢をみたんだろう。教授の死を発端として、誰かと連絡を取ろうとする自分。浅はかすぎて、嫌になる。