働こうと思う

いよいよ働く決意を決めた。衆議院選が終わり少し経ったら、僕は就職に向けて動き始める。
条件と場所さえ選ばなければどこにでも就職の口はあるだろうが、僕の精神衛生的な事情からそれらを厳密に選ばないといけない。しかしそれでも求人は尽きることがない。年内には僕は再び働き始めていることだろう。ようやく僕の肩書きから無職が取れるのだ。
これで親戚にも堂々と会うことができる。日中も堂々と外に出ることもできる。もう自分の働いていないのを恥じることもない。身を慎んで部屋に引き篭もる必要もないのだ。


ただし、僕には出世欲はない。出世して肩書きだけ偉くなれば、一日中落ち着いてコーヒーを飲む間も失うほど忙しくなって、それなりに面倒臭い責任も背負わなければならない。朝は誰よりも早く出勤し、夜は誰よりも遅く帰らなければならない。時には本当に何よりも面倒臭くて堪らない酒に塗れた夜の接待を施し施されなんていうのもあるだろう。僕はそういう半ば義務的な場で酒を飲むのは勘弁だからそんなのは受けたくない。
僕は誰よりも短く働き、誰よりも早く帰り、誰よりも多く遊び、誰よりも長く寝て、誰よりも遅く起きたい。そうして社会的に真っ当な人間である範囲で誰よりも自分勝手に生きるのだ。労働人生なんてまっぴらだ。僕は奴隷じゃない。アリでもない。過労死で死ぬくらいなら一生ヒラヒラでいい。
労働には別にやりがいなんていう付加価値はなくったっていい。やりがいや自己実現なんていう言葉は、労働の苦役である面を覆い隠して労働者の感覚を麻痺させるために使われているに違いない。ソフトな甘い言葉に惑わされ騙されちゃいけない。
要するに僕はただ最小限の勤労責任を持って労働して、ついでに少しだけ地域社会が良くなるように貢献して、それらの対価として賃金がもらえて生活できればいい。これは別にわがままなことじゃない。僕がそうしたいからそうする、それだけのことで、身を粉にして働きたい人は働けばいいし、僕とそういう人とは相容れないことじゃない。ただ、誰もが滅私奉公すべきと考えているような頭の中が国民精神総動員という文字で一杯の全体主義的な人や、みんなやっているんだからお前もやれ進め一億火の玉だみたいな考えを押し付けたくて堪らないような体育会系の人とは決して相容れないとは思うけれど。
自分の好きなように働きたい、かと言ってフリーターでは駄目だ。健康保険や年金に不安がある。それに世の中の情勢が変わればフリーターなんて簡単に馘だ。僕は自分勝手には生きたいけれども、地を這うような生活はしたくない。


少し前に、ある会社に「契約社員として働きたいと考えているが具体的な労働内容を聞かせてくれ」と問い合わせをしたことがある。すると向こうは「正社員を希望しないのは何故か」などというようなことを言って、あなた実際のところ働く気ないんですね、と言わんばかりの態度を取られた。そうですお察しの通り働きたくないんです、とは言えないから適当にごまかしておいたがもうそこに契約社員であろうと勤める気はない。
だいたいその会社は正社員になると数年単位で全国範囲の転勤をしなければならないという。全国範囲での転勤というのは好きでするものでもなければ、できれば働きたくない出世したくないという人間にとっては重大な肉体的精神的苦痛を伴う人権侵害だ。馬鹿げている。
僕は年金が貰える歳になるまでずっと徒歩十分で通勤できる職場に勤めたいから、全国範囲での転勤は言うまでもなく、そもそも転勤制度なんてある会社は御免だ。そういう会社には、本当にどうしようもない限り絶対に勤めることはない。逆に言えば今現在そういう会社に勤めている人に対しては、尊敬の念を禁じ得ない。残業や休日出勤なんてしないで早く帰って休んで欲しい。