仕事

三年前、僕は初めて働き始めた。その職場へは、通勤に家から一時間半も掛けて通わなければならなかった。あの嫌な朝のラッシュ帯の電車に長時間乗るのが嫌だった。そしてその年に受けた資格試験に落ちていたことが分かってから、僕は雑用にすら資格が必要な仕事内容のほとんどができなくなり、その初めての職場を一ヶ月で辞めざるを得なくなった。情けなかった。けれどそれと同時に、嬉しくもあった。一時間半の通勤時間と九時間半もの拘束時間から解放されて自由になったからだ。やっぱり僕は働きたくなかったのだ。
そして二年前、僕は資格試験に合格してから、また働いていた。その職場は、家から自転車で三十分程度で行けるほどの近い場所にあったから、通勤にはあまり困ることはなかった。同じ時間乗っているのなら、僕は電車よりも自転車に乗っている方が好きだった。ただ、その職場は五十平方メートルの範囲に人が十人もいるという過密地帯で、ちょっと移動するにも他の職員とぶつからないことを考慮に入れて動かなければならないという具合だった。僕はそんな環境が気に入らなかった。それでも、初めの間は僕は仕事を辞めたいとは思わなかった。
しかし三ヶ月ほど経って、次第に僕の中で仕事を辞めたいという思いが強まるのを感じ始めた。それは主には仕事内容の問題だった。世間的には専門職ということで通っているけれども、実際に行っていることは単調な作業だった。毎日毎日狭い職場で同じことの繰り返しで、何年も先もただひたすら今と同じことをやり続けているということを考えたら気が狂ってしまいそうになった。
それと同時して、月に一、二度開かれる飲み会が苦痛だった。酒なんてアルコールの臭いを嗅いだだけでも吐き気がするくらいに飲みたくもないものだったし、無理矢理設けられたような話の場で他人と話をしようにも別に楽しい話なんてない。そんなことをするくらいなら、家に帰ってネットで youtube でも見ていた方が楽しいに決まっている。おまけにこの飲み会、何千円かの参加費も払わなければならなかった。飲みたくもない酒や話したくもない話の為に何千円も払うくらいなら、新しいマウスでも買った方が有意義に決まっている。だからそんな飲み会に参加することが僕は嫌いだった。
しかしこの飲み会というものは、職場の雰囲気として断り難いという厄介なものだった。やんわりと遠回しに参加できないという旨を伝えると、「どうして参加しないの」とまるで参加しない人間に非があるかのように問い返されるから、前言を翻して喜んで参加しなければならなかった。新入社員だということで参加するのが当然であるかのように言った人もいるくらいだった。
参加しないことで悪口を言われても困るから、参加せざるを得ずに何千円かを払って毎度参加する。そして時間と金を失って僕が飲み会で得るものは、いつも何もなかった。僕は居酒屋を恨んだ。日本中の居酒屋という居酒屋が全て宇宙へ飛んで行ってしまえばいいとさえ思った。そうすれば飲み会もなくなる。僕は幸せになる。けれど実際に居酒屋が宇宙に飛んで行くことはなかったから、僕は不幸なコミュニケーション障害者のままだった。
そうして僕はその職場を勤め始めてから半年後、退職した。何も嫌いな飲み会に参加しなければならないことを気に病んだからということで辞めたわけではなくて、ただ僕は働くことが嫌になったからだった。新入社員の三割が三年以内に辞めるという話を聞いたことがあったけれど、実際に自分もその中の一人になっていた。
自由になった僕はそれから一年半、ずっと自由になっていた。でもそれは本当の幸せな自由ではなかった。僕が自由を感じている裏で、家族は戸惑いを感じているらしかった。そのことに気付くと、僕は自分も戸惑っているのだとどうしても認めなければならなかった。この自由は、偽物の自由なのかも知れない。