ああ

よく分かりませんが例のデザイナーの人に対するバッシングは学校でのいじめと同じ構造なのではないでしょうか
確かに例の人はトートバッグの件から展開例の画像の件まで決定的な怪しさに塗れてしまっていますが、その個人に対して正義感昂ぶって暴言に近い糾弾を公衆に振りまいたり面白おかしく人格を揶揄したり、それは違うのではないだろうか、歪んだ正当性に基づいて行われるただの集団的暴力活動ではないだろうか、と感じる次第であります
それはまさしくいじめの正当化プロセスと同じであり、○○だから馬鹿にしてもいい、となれば対象が大人であろうが子供であろうがいじめそのものでしょう
糾弾すべきは個人ではなく、不透明な選考基準やバッグのデザインのように模倣が大々的に行われても誰も気付かないシステムではないでしょうか
本人が説明の機会を設けて誠意を持って弁明をするのが最も騒動の鎮静に効果があるのではないかと思いましたが、今さら出てきても偽作曲家や割烹着さんのように再燃するだけかも知れません、もう知りません