アンチカテゴライズ

よく会話では血液型をネタにして盛り上げるという手法があるが、僕はそういう場では他人には絶対に血液型は教えない。さぞかしつまらない人間だと思われていることだろう。どうしても教えなければならない時になった場合は、嘘の血液型を教えている。
先入観を持たれるのが嫌なのだ。大体のケースで言われるのが、A 型は神経質、B 型は自己中、O 型は粗暴、AB 型は変人。酷い。血球の構成分子の種類で性格が分類されるなんてまさか誰も信じちゃいないのだろうが、あの人は A 型だから云々、などというのはよく聞く。あまっさえテレビで今日の血液型の運勢なんてコーナーさえあるほどで、辟易する。性格であろうと運勢であろうと、たったの四つのうちの一つに分類されて堪るものか。一体誰が考え出したんだ、と憤りはしないが嫌な気分にならないわけでもない。
ただし職場柄、ばれる人にはばれているだろうけれども。
そう考えると星座もアレだし、大安だの仏滅だのの六曜もアレだ。姓名画数判断もそうだ。こんなに訳の分からない運勢占いの種類があるのはこの国くらいなんじゃないか? そう考えると我々の国はカテゴライズと決め付けが好きな国民性なんだろうな。
僕はカテゴライズされたくない。僕は僕だ。