今日は振替休日

うんこが本当に漏れそうな時の孤独感は凄まじいものがある。
自分はうんこをしたくて、でもできなくて漏らしてしまいそうで、下腹部に力を込めたり緩めたりと試行錯誤しつつ我慢しながらも、やはり抜本的な処置=排便をしなければ漏らしてしまう、しかしそれがどうしても行えない状況下で独りで苦しんでいる。けれども、周りの誰もそのことには気付かない。気付いてもらおうとしても、病気でもなければまさか通り掛かりの人に「うんこ漏れそうで苦しいんです」なんて言えるはずがない。例えせめてもの同情を得ようと、精神的身体的な自我を突き破りそうなほどの苦悩を顔面の筋肉の動かせる限りに浮かべていたとしても、それを見た人からは「この人ちょっと変な人だ」としか思われないだろう。
昨日は限界寸前で 100 メートル先にコンビニがあったが、その 100 メートルの距離を歩くことがまるで一日のように長く感じられた。コンビニとは反対側に中学校があって、そこへ向かい列をなして歩く大勢の楽しそうな学生たちとすれ違う。その中を逆の方向へと歩く僕は、抱いている感情すら逆だった。楽しさなんて微塵もなく、苦痛と恐怖と焦燥しかなかった。孤独だった。
もしあそこにコンビニがなかったら、僕はどうなっていただろう。便意に負け、孤独に打ちのめされ、下半身を汚物まみれにしながら家へと戻る。そんな有り得たかも知れない無残な自分の姿を思うと、あそこのコンビニに足を向けて寝られないほどだ。
朝に余裕がないから昨日は悲惨な目に遭った。ただその中で、一本遅い列車でも遅刻にならないということを知ったのは収穫だったかも知れない。