責任感がない

本来なら今はこんなことをしているはずではなかった時間。VOX amPlug Bass で遊んでいるが、Line Out とamPlug とを繋ぐケーブルが抵抗の付いたものだったので音源の音量が減衰されて何もできなかった。だから今度は抵抗のないケーブルを買ってきて繋いでみると、きちんと音が出てくれるのでちょっと遊んでいる。
こんな状態で一つ言うなら、精神的な病気ではないということだ。例えばうつ病。本当にうつ病なら、今こんなことをしていられるわけがない。かつて身近に仕事のストレスでうつ病に罹った人間がいたが、あの時の状態は本当の病気と呼ぶに相当するものだった。表情もない。話ができない。活気がない。何を考えているのか分からない。何もできない。もう本当に「そこに居る」という状態を維持することがやっとの様子だった。僕は傍から見ていて怖かったのを覚えている。
僕は違う。同じ仕事のストレスであってもそれから「逃げたい」という考えがまず頭にあって、実際に逃げようとして恥ずかしい失敗をした。例のうつ病の人間には、「逃げたい」はなかった。逆に「立ち向かわなければならない」という考えがあったはずだ。それで頑張って頑張って頑張った挙句、限界を超えて発症してしまったのだろう。責任感が強かったのだ。
つまり僕には責任感がないということになる。責任感のなさから目の前にある責任を放り投げたいと考えるあまり、例の行動を起こした。その結果、「逃げたい」願望は幸か不幸か部分的に実現してしまった。
ご飯にお吸い物が付くように、責任というものは仕事に付き物だろう。長期的かつ現実的に考えて、僕は生きるためには仕事をしなければならない。責任のない仕事はない。この先も僕はこのまま逃げ続けるのか。だとすれば、また同じことを繰り返す羽目になる。
肉体的な弱さ、精神的な弱さに加えて責任感の欠如。乗り越えるべき点がまた明らかになった。けれども未だに何一つ乗り越えられていない。