叱責

結局、運が悪かったのだ。
上の人は別に個人的な悪意があって叱責をするわけではないということは分かった。叱責をすることでミスの重大さに気付かせ再発を防ぐという意図があったのだろう。その証拠に、叱責の中には決して人格を貶めるような内容はなかった。人格否定のない一般化された叱責は、ミスに対する厳しさの表れだろう。
しかし叱責を受ける側が叱責をする側の気持ちをその場で即座に汲み取れるかと言えば、そんなことはない。僕は叱責の意図を理解せず、あるいは理解できず、叱責が単に自分に対して攻撃的なものであると捉えてさらに重圧を感じた。そうして精神的に駄目になった。
上の人は叱責によってミスを減らそうと考えていたのかも知れない。しかし僕にとって叱責を受けることは、一般化されたものであってもそれ自体が自分を否定することとして捉えてしまうものだった。つまりどのような叱責であっても叱責である限り僕は自分が否定されていると感じてしまうのだ。片や叱責によってミスの再発を防ごうとする上の人、片や叱責を受けること自体に恐怖を覚える僕。この組み合わせだ。運が悪かったとしか思えない。