仕事と脱獄に繋ぐささやかな希望

僕は自分の職種の仕事をもっと世間一般にアピールしたいと思っている。
現状はダメだ。この仕事はその存在意義が全くと言っていいほど認知されていない。時間と金の無駄だとさえ思われている。仕事の根幹を為す業務を行わせないことがお金節約術としてテレビ番組で取り上げられるほどだ。このままじゃ僕の給料は減ってしまう。いずれはおまんま食い上げちゃん。それは困る。
実際は給料の問題じゃない。このままこの存在意義が認知されない仕事を続けながら生きていて意味があるのだろうか? 金だけ稼いで生きて楽しいのだろうか? 楽しいわけがない。本当は客とは言うべきではない存在なんだろうけれども、職場に来る客にこちらの仕事の内容とその有用性を認識させ、共有できた方がいいはずだ。「働きたくない」と言いながら続けている仕事がお金節約術の一環にされてたまるか。だからもっとこの仕事について世間一般に役割を認知させないとならない。
それには発言権が必要だ。引きこもり気味で働きたくないなどと言っている今の僕のような人間のままでは発言権などないに等しい。どうにかして発言権を獲得しなければならない。無視できないほどの大きな声を持たないといけない。
僕にとっての「脱獄」とは、少し前までは「働きたくない」という面倒臭がりな僕に従うための手段だった。けれども仕事に順応していく内に最近はだんだんと考えが変わってきた。このまま黙々と毎日仕事をし続けていても、その職能組織の中での発言権は得られるだろうが世間一般に対する影響は皆無だ。世間に対する発言権を得ること、そのためには職能組織の中に留まって自慰のようなことをしているだけじゃダメに決まっている。職能組織を飛び出して意外な立場から情報を発信する方が世間に対する影響は大きなはずだ。「脱獄」は、そんな手段になるかも知れない。
海堂尊という作家がいる。医師でありながら作家業を行っているが、その傍らで自分の職種に関する意見を表明している。彼がもし「ただの医師」であったなら、世間的にも「ただの医師」の発言としてしか見られなかっただろう。彼の職種に関する意見が世間を賑わせているほど大きな発言力を持っているのは、「ただの医師」でなく様々な作品を発表している作家であるという点が非常に大きな要素であるはずだ。
こうすると僕の「脱獄」というのが「二足のわらじ」に近いものでなければならないことが明らかになる。ただ逃げるように脱獄するんじゃダメだ。職種に精通し、その上で世間的に発言が通用する立場を得る。ただ発言力を持ったとしても、職務の能力に裏打ちされたものでなければ薄っぺらいバカの喚きでしかなくなってしまうだろう。


それで、僕は仕事で一人前になったの? なっていない。「脱獄」に向けて何か目処は立っているの? 立っていない。どうこう言う前に、まず仕事をきちんとこなせるようにならないといけないらしい。「脱獄」は相当先のようだ。