人間的多面性

面白い。
人というものはある場では一つの面しか見せないが、また別のある場では全く異なった面を見せる。そのギャップを差分として見ると、果たしてこの両者は同一人物の持つ性質かと思えるほどの違いがある。見る角度によって全く異なるものが浮き上がるホログラム印刷のようなものだ。面白い。
多面性を抱えているのは特定の人間には限られない。みんな多面性を持っている。裏表のない性格などというがあれは裏表がないと見せ掛ける面を見せているだけだ。裏表がないと見せ掛けている面の裏の方の面では、どろどろとした真っ黒な感情が渦巻いている。あるいは横の面ではグロテスクな感情が昆虫の卵のように隙間なくびっしりと貼り付いているかも知れない。だから自分で「裏表のない性格です」だなんて言うような人間はまず信じない方がいい。そんなことを言うのは狡賢い嘘吐きだ。
そして僕も例外ではなく多面性を抱えている。人に誇れる面、人に見せることのできない面、どうでもいい面。良い面を見せるのは単に疎外されないためだ。ごめん。僕は嫌な人間だ。
毎朝挨拶を交わす近所のおじさんもコンビニで弁当を笑顔で渡してくれるお姉さんも、裏では何を考えているか分かったもんじゃない。しかしそうして否定的なものを否定的なものとして肯定してしまうとみんな嫌な人間だという結論になってしまうから、結局自分の関わる範囲内では思って思わぬ振りをするしかない。いちいち気を取られていたら、こちらの精神が病んでしまう。
油断していると、自分の知られてはいけない面が公になってしまうことさえある。こうなると面白いどころじゃない。気を付けないといけない。