適当に働く

働くと言っても、適当に働けたらいいんだけれどな。それを許さない風潮があるような気がして、どうしても働くことに対して気負ってしまう。あるいは、そんな風潮は実際はないのかも知れない。みんな自分の全ての力を掛けて働いていると見せかけて、実は適当に働いているのかも知れない。
真面目に働くのは職場に属する人間として当然のことだと思っているけれど、どうも違うんだよな。真面目と適当とは相反するものではなくて、共存できるものなのではないかと思う。
真面目の対義語は不真面目だ。不真面目に適当に働くような人間は、どこの職場や組織や国であってもお荷物でしかない。不真面目じゃいけない。あくまでも真面目じゃないといけない。
真面目に働けば少し力を抜いても許されるかどうか。僕はまだ分からない。何年も毎日働いている人たちは、そこら辺の力加減が分かっているんだろう。
少なくとも僕は十割の力を仕事に費やしたくない。仕事をするだけでエネルギー使い果たしたくないもんな。脳味噌まで体育会系の人間が仕切っていて穴掘りさせられたり空気読め文化が蔓延したりしている職場に勤めなければならないわけでもないだけ僕はマシだ。