人との付き合いを求めながら恐れる僕

他人との付き合いが大切であることは、おそらく今以前にも何度か気付いたことはある。けれどもその付き合い方、あるいは距離感の掴み方を、どうすればいいのかがあまりよく解っていない。解っていないから、同じ過ちを何度も繰り返す。いい加減学んで自分のものにしなければならないのだろう。そもそも人付き合いの経験が同年代の人間と比べて少なすぎるから、いつまで経っても学べないのかも知れない。
自分が求めた時、拒絶されたらどうするか? その異様に大きな不安が常に頭にあるから、自分が求めたくても結局何も求めようとしていない。求めることができない。何だか異性との付き合い方に相似しているようにも思えるけれども、結局は同性であれ異性であれメソッドは異なるもののプロトコルとしては何も変わらない同じものなんだろう。
この相手からの拒絶を極端に恐れる思考は、おそらく中学生の頃の出来事に端を発している。それまでは僕は、少なくとも一日中誰とも喋ることのない人間ではなくて暇があれば誰かと会話しているような人間だった。けれども進級して新しいクラスになった時、それまでの友達が一人も同じクラスにはいなかった。だから新しい関係を築くことがあまり得意な方でなかった僕は一人でいるのも心細いから、小学生の頃の級友で同じクラスにいた奴一人にだけ盛んに話し掛けるようになった。今から考えれば少しだけしつこかったんだろう。そしてしばらくしてから、そいつに案の定言われた。
「鬱陶しい」。
これだ。やっぱりこれが原点だ。間違いなく、僕が未だに拒絶を恐れ他人との距離感を掴めないでいることの根本をなしている原体験だ。そう思う。
言われた瞬間、時間が一旦止まり、僕の頭は血の気が引くように真っ白になったのを未だに覚えている。その言葉を言った奴の面倒臭そうな顔すらも覚えている。僕とそいつとの空間が周りの人間とは隔絶されていた感覚も覚えている。僕にとってその出来事はそれだけ衝撃的だった。
それ以降、僕は変わってしまったのだろう。変わったというよりも、今までの自分を構成し積み上げていた形のないものが失敗したジェンガのように崩れ去っていった。自分がなくなってしまった。そして再度の拒絶を恐れて、他人と積極的に交わらなくなった。だから他人との距離感すら掴めなくなった。他人とどう接すればいいのかが解らなくなった。
何が悪かったとかそういうことを突き詰めて考えても意味はない。過去をいくら掘り探しても、現在が変わる訳じゃない。けれどもその出来事が今の僕の中に確実に根強く残っているのには違いない。結局はそれを抱えながらどう乗り越えるか、なのだろう。どうすれば? どうすれば?
全て忘れることができれば楽なのに。