死を恐れる僕は生きることをも恐れる

誰にでも死にたくないという意識は潜在的にあるものだろうし、僕も例外ではなくて死にたくないと願っている。正確には「今」死にたくない、「まだ」死にたくないと言った方がいいのかも知れない。いつ訪れるか、「今」まさに訪れるかも知れない、「突然の」死が怖い。今まで続いていたものが突然吹っ切れてなくなってしまうというのだから、恐ろしいとしか思えない。
その発端にしていいのかは分からないけれども、大学生の時に高校で同級生だった知り合いが突然亡くなったことがあった。高校時代の彼は病気とは全く無縁の健康体だったから、知らせを聞いた時は信じられなかった。知らせは例の X さんから聞かされたのだけれど、電話していいかとまずメールが来たから重要な話でもされるのかと思っていたら、訃報だったので驚いてしまった。
彼が亡くなった原因は詳しくは知ることができなかったが、運動中に心臓に良くないことが起きたということを人伝に聞いた。ちょうど同じ頃に高円宮憲仁親王殿下が運動中の心臓発作で亡くなっていたから、それと同様のことが起きてしまったのだろう。僕と同じ若い歳の人間の身体にも突然死というものが起こり得るということが、強く印象に残ってしまった。
おそらくそれからしばらくしてなのだろうけれども、僕はときどき激しい動悸がするのを自覚し始めた。初めて自覚したのが、自転車に乗ってユニクロに買い物をしに行った帰りの時だった。突然、何の前触れもなく心臓が激しく拍動する。その時に僕は何だこれは、と思ったのかどうか忘れたけれども、動悸が続いたのは短い時間だったから特に気にすることもなく、妙な不快感だけが残った。
死ぬかも知れないと感じた動悸を覚えたのは、それ以来何度もある。自宅で椅子に座った瞬間や、バイトで業務の準備をしていた時、職場の休憩室で野球の投手の真似をした時、実家で犬と戯れていた時。どの場合も何の前触れもなく突然激しい動悸が始まる。運動時や運動後の動悸とは質は全く違うものだった。動悸は何分間か収まらないから、このまま死んでしまうのかと思って著しい不安感に襲われる。冷静になって胸に手を当てて脈拍を測ったことがあったが、軽く 200 bpm は越えていた。数分こらえていると自然と動悸は収まるものの、いつ起こるか分からないから意識すると恐ろしい。
動悸が致死的なものに移行して死んだら困るので医者に行って二十四時間心電図を測るという検査やエコーも受けたものの、何の病気の疑いもないらしかった。原因がないとされたにも関わらず動悸はあるのだから、余計に不安だった。最近ここ半年は異常な動悸は起きていないが、ネットで検索すると色々な情報が得られた。それをいちいち自分に当てはめたりしてはどうしようもない心配などをしている。
とにかく突然死が怖い。そしてそのきっかけとなるかも知れない動悸が起こることを恐れているから、あまり遠出をしたがらない。本当は色々な場所に出掛けたいのだ。小湊鐵道養老渓谷へ行って紅葉を見たいのだ。鹿島神宮へ行って鹿にエサを食べさせたいのだ。そんな希望が叶えられないから、僕の生活は生き生きとしていない。生きることすら恐れてしまっている。
僕は何がしたいんだ?