八月

和歌山でカレー事件が起きたのは、僕が高校の部活に入って初めて参加した合宿の時だった。高校と同じ敷地にある古いプレハブ校舎を宿泊所にして、そこで誰かが持ち込んだ小さなテレビで仰々しく事件を伝えるニュースを見て、娑婆では何が起きているんだろうと感じたのを覚えている。ということは、あれからもう十一年が経ったということだ。
僕はその時はもちろん無職でもニートでもなかった。あの時はまさか、十一年後にこうなるとは思いも寄らなかっただろう。と言うよりも、何になっているかすら分からなかった。数年後には何となく大学生になって何かを学んでいるだろうということは分かっていたけれど、そのさらに数年後に自分が何をしているか、今思えば本当に全く想像できないでいた。働いているか、働いていないかも分からなかった。もっと言えば、具体的に働くというイメージすらつかめなかった。
だからこそ、今こんな風に働きたくないと言いながら働いていないのかも知れない。普通の人は、もう働き出す十年も前から自分の働く姿を思い描いているのだろうか? だとすれば、僕は人生設計を既に十年前から失敗していたのだろうか? だとしても、十年前には戻れないのだからもう設計し直すことはできない。何を言っても仕方がない。自分の働く姿を、実際に働いてから客観的に見て納得するしかない。
八月は、特に夕方は、天候が不安定すぎる。僕の心も不安定だ。