何よりも孤独はつらい

しかし、孤独を感じるということは他者との比較による自分自身の状況の相対的な捉え方であるという視点に立つ限り、比較することを避ければ孤独という概念からすら逃れられるのではないだろうか。
けれども学校であれ職場であれ、社会に身を置く立場ではどうしても他人との直接的間接的な接触を避けることはできず、その状況で頭だけで他人との比較を避けることは難しい。だから物理的に社会から離れ、比較対象の存在自体から逃げることで比較を避け、孤独を感じることから避けたつもりの結果が数年前の引きこもりの僕だったのかも知れない。
ただし今はインターネットで暇潰しができる時代、時間が有り余る引きこもりの前にネット接続ができる端末があればそれで暇潰しをするしかない。しかし受動的に情報を得るだけでは楽しい暇潰しにはならない。暇潰しは能動的だから楽しいのだ。そしてネットゲームに参加したりウェブサイトを作って情報を発信したりする。その過程で、無視できない他人の存在に気付くことになる。結局、引きこもって避けたはずの比較対象は引きこもっても否応なく付いて回り、孤独を感じることからは逃れられない。
もちろん現実とネットとで立ち回りが換えられる性格なら、ネット上で上手く人の輪に入ることで孤独感を解消することもできるのだろうが、現実で滑らかに立ち回れないから引きこもるくらいの人間が心の底からそうそう上手く輪に入れたと感じることができようはずもない。他人同士仲良くする姿を見て孤独感を覚えるのは、社会に参加していようとも引きこもっていようとも変わりないということになる。
つまり今も昔も僕にとって必要なのは、社会から逃げることではなくて、他人との比較をやめることに外ならない。それができたらどんなに心安らかに生きられるだろうことか。