セルフカットに失敗しても誰も何も言わない

前後左右ぼさぼさの髪の毛を頭に生やして胃が痛い僕は、通勤の道中すれ違う人の目が気になって気になって仕方がなくって、伏し目がちに歩いていた。ときどき視線をおそるおそる上に遣って様子を窺っても、誰もじっくりと僕のことなんか見ていない。耳をすませても、「ねえ、あの人の髪見た? アレ絶対自分で切ったよねキャハハ」なんて声も聞こえてこない。同年代の人も学生もおじさんもおばさんも、みんな前を向いて歩いていた。
これはもしかすると、セルフカットが失敗に終わらなかったのかも知れない。僕のセルフカット技術は、普通の人を上手く騙して自然に見せうる程度の技量に達したのかも知れない。
そんなわけがないんだ。これは失敗してしまったんだ。みんなこのぼさぼさの髪の毛を見て誰も何も言わないしじっくり見てこないのは、ちょっと変な人の前で「あの人、変!」と言わないのと同様、暗黙の道徳が働いているからなのだ。
そしてその道徳は、その場からぼさぼさの髪の毛という対象が完全にいなくなると、当然のように作用することがなくなる。「ねえ、あの人の髪見た? アレ絶対自分で切ったよねキャハハ」と何と言おうとそれはその人の自由だし、そもそも僕のいない場で何を言われようと僕はそのことを関知できる存在ではない。
だから僕はこのセルフカットに失敗したぼさぼさ頭について、僕のいない場所で何を言われているか気にする必要もないし気にしてはいけないのだ。多分。
もしかすると本当に失敗していないのかも知れないが、もうこんなことをいちいちうじうじと気にするくらいなら最初からお金を払ってプロに切ってもらえばいい気がする。アーメン