思考原理

激しい後悔を感じることが昨晩あったけれども、抗不安薬を飲んで非常に落ち着いてきた。僕はなぜこの自分が取った行動の結果としての些細な出来事にいちいち一憂一憂するのか。
当然、人によってそれぞれ頭の中での処理方法が違う。千人いるとしたら、同じ出来事でも千通りの処理方法=考え方がある。
例えば、ある別の二人が全く同じ行動を取り全く同じ出来事を経験したとする。二人を仮に A, B として、A はその出来事について特別気にも留めず、またそれを引き起こした自分の行動についても特に深く気にすることがない。一方で B はその出来事を非常に不本意なものであると捉え、それを引き起こした自分の行動について激しく後悔し、憤り、果ては自己嫌悪となる。
この例は一見両極端に思えるが、この仮定の出来事というのが本当に些細な下らないことなので、その場合むしろ A は一般的であると言え、極端なのは B だけということになる。極端どころか、下らない出来事で自分に憤慨して自己嫌悪になるのだから、B の場合はかなり危ない。
頭の中での処理方法=捉え方や考え方が違うことでその後の心情も変わってくるというのは理解できるのだけれども、それだけでこんなにも違うのは辛い。考え方を変えるにしても今さらじゃ難しいだろう。となると僕は寿命までずっと些細な出来事で後悔し続けなければならないのか。
これはストレスのせいで寿命の方が自然に近付いてくるんじゃないか。嫌だな。