ゲームをやっている

もう現実だけを考えて悲観的になるのは良くないのでゲームでもやってドパミンを出そうじゃないかと思ったが、肝心のゲームも中々思った通りに進まないので悲観的になるという矛盾が生じている。それでも現実での悲観とは全く程度の異なる種類のもので、ゲームでの悲観なんて時間を積めばどうにかなってしまうのだ。現実はそうは行かない。いくら時間を掛けても、力を注いでも、それが自分の中で完結するものでない限り、状況は一切変わらないか悪化する可能性さえある。それだけ可変要素が複雑であるのが僕を取り巻く現実。僕だけじゃない、みんなそうなのだろうけれど、この現実に解を望む人なんているのだろうか。
学生の頃、数学で解答が「解なし」の問題があった。答えを求めるのが問題であるはずなのに、「解なし」とはどういうことか。答えを「解なし」などと済ませてしまう数学の問題なんて意味がないんじゃないかとさえ思ったが、実際問題となって目の前に出てきている。これはお化けだ。僕は「解なし」の問題を解いてそれが「解なし」である問題だと認識するごとに、ぞっとする感覚がして怖かった。
それと同じように、僕は現実という解のない問題が怖いのだ。