辞めたい病が再々々燃

この気分の波の物凄い上下動は何なんだ。「仕事を辞める気配はない」がこの数日で「もう今すぐ辞めたい」になっている。帰りの電車では「どう辞める理由を付けたら最も無難か」などと考えていた。思考の指向が何についても物凄く暗い。僕の頭の中評議会議場は停電している。
「辞めるつもりはない」と「辞めたい」、このどちらが現状のベースの気持ちなのかによって対処が変わってくる。前者だとしたら、辞めたがっている気持ちはおそらく極めて一時的なもので、何らかの要因でやはり一時的に気分が「落ち込んでいる」ということになる。だとすれば辞めるべきではない。一方で後者であれば、辞めるつもりがない気持ちの方こそ一時的で、たまたま気分が「昂揚していた」時に考えついたということになる。だとすれば辞めるべき、なのか?
そもそも何故辞めたがっているのか、自分でも明瞭には解らない。確かに、例えばロンドンオリンピック高校野球を一日中涼しい部屋で観ていたい、などといった、職場での仕事よりも家で好きなことをしていたいという怠惰な思いは少なからずある。けれどもそれは明らかに第一の要因ではない。辞めたいと切り出して何故かと訊かれたとして、五輪を観たいからです、などと答えるしかなければただのアホだ。もしかすると僕はそのただのアホであるという可能性は否定できないが、五輪を観たいからという理由だけで履歴書郵送地獄と引き換えに得た今を捨てるほどではない。
退職する理由にはよく、何かを高望みし過ぎていてそれが叶わないから逃げ出したがる、という類のものを聞く。それはもちろん人間関係のトラブルだったり仕事上の不満だったりの細かな理由について包括化、カプセル化された概念なのかも知れないが、いずれもつまりは自分の望む快適な環境が得られないということなのだろう。だとすれば僕は今の職場環境に対して理想的な何かを望んでいて、しかしそれが得られないことに強いフラストレーションを感じているのか。
望んでいながらその理想を得ることが絶望的なものは、現状では確かに多々ある。それは職場の組織上の仕組みについてや、仕事の進め方、果ては自分の立ち位置だったりもする。けれどもそれを全て自分の理想の都合の良いように変えることは不可能だ。ましてや組織の仕組みを変えるなんて、たかが組織の末端の人間になんてできるわけがない。それでストレスを感じているとすれば、とっとと辞めて自分で理想の組織を作れという話だ。それができないなら、既存の組織に留まるしかない。
理想。言い換えれば、「こうあるべき」。確かに僕にはそれについて強く求める面は、仕事でもそれ以外でも強いのかも知れない。その求める理想が今置かれている現実と相容れないから、イライラして絶望して辞めたがる。そう思うと、数学で解けない問題があってイライラして教科書をぶん投げた学生の頃の記憶と重なる。
遠い理想なんて捨てればいいのか。しかし理想を全て捨てて現実に甘んじたらいい加減な人間だろうし、がちがちの理想を追い求めて現実を無視すればただの頑固になる。難しい。