仕事苦

ああもう面倒臭いよ。仕事は作業だけしてりゃいいんじゃないのかよ。ってのは解ってはいたが、もうそこに人という千差万別の性質を持つ不確定要素が入りしかもそれが何人何十人と集まるとそれはまさに混沌世界。0 か 1 かのデジタルでは到底表せない。64bit でも表せない。予定調和などは存在しない。しかし果たしてアナログでさえない。ただ現象そのものであり、自分も現象の一部として取り込まれる。
そこに単純で精神的単細胞な僕のような人間が放り込まれればどうなる。脆い脆い未熟な精神などは、不確定の混沌という現象の中で引き裂かれてしまうのだ。狂う。狂う。狂う。このままじゃ、持たない。
しかし現象であるのは職場だけではなく、世界の出来事もそうであり、学校での生活もまさしく現象であったはずだ。僕はその現象の中で目を逸らし続けてしかし何とか逃げ出すことはなく、その一区切りの現象から正規の道から脱してきた。しかし今のこの労働という状況では、もう受動的に現象を受け入れるということが許されていない。ましてや目を逸らすことさえもだ。能動的に個々人が現象を構成することが要求される。そしてみんな、一つの現象になる。
しかしその中でもやはり個々人には全く異なる意識や経験や思考があって、時に密接に繋がり合うこともあり、激しく打ち当たることもあり、冷たく遠ざけ合うこともある。そんな中で僕はもう疲れた。
自身もそれを構成する一部となっている現象を、僕は嫌だ、疲れたという主観を通じて見ている。主観があるからこそ、職場という現象に特定の思いを抱くようになる。では、主観を変えるとどうなるのか。荒んで見えたはずの現象も、コメディでも見ているかのように楽しく見えたりしちゃうんじゃないだろうか。
と、前にもこんなことを言っていたような気もする。