ニートに戻るとする場合

しかし前提から狂っているとは思うが、戻りたくて仕方がない。あの自由な時間に起きて自由な時間に寝て、苦手な電車も乗らずあるいは外に出ることさえ強制されず、好きな時間に好きな場所に出掛け、一日中好き勝手していられる、あの日々。一度経験すると、この今の生活なんてまるで奴隷なんじゃないかと思えるほどだ。だからこそ二年も続けてきた訳だし、続けてこられた。ただ、空白期間が延びることに危機感を覚えたからある程度仕方なく履歴書を書い送ってしまった結果、今に至っている。
もし今、再びニートに戻ったらどうなるだろうか。まず、収入が断たれる。当面は生活のための資金としてこれまでの預金を充てれば凌げるだろうが、それも何年と続くはずがない。しかも年間何十万もの金が年金やら健康保険料やらで持って行かれる。当然、欲しいモノを好きなだけ買うことさえ躊躇われることになる。これじゃあつまらない。
つまりはニートになったとしても、十分な収入さえあれば食って遊んで生きていけることになる。ただしニートであることと十分な収入を得ることとは、相矛盾しているか。しかしニートなんて言葉の定義なんて曖昧で、公的文書以外では「若年の無職」のほぼスラングとして使われている。あるいは労働者の大部分を占める「会社員」≒「組織に属し労働力を提供する人」や、「自営業」以外の人間を指すかも知れない。
ニートが収入を得たら、それはもうニートではなくて「個人事業主」になるのか? 収入というものは、形の違いはどうあれ何らかの個人なり組織なりと契約を交わしてサービスを提供しそれの対価として金を得ることに違いない。「せどり」さえ、売買行為を行っている時点で契約が生じている。それで食っていけるかは別として、もうそれはニートではないように思える。
しかし定義なんてどうでもいい。僕はニートになりたいというのではなくて、自分の好き勝手に生きたいがために、自分の好き勝手なペースで仕事をしたいのだ。これじゃ当然組織に向いているはずがない。居て苦痛な訳だ。
けれども好き勝手なペースで稼げる仕事なんてそうそうない。あったとしても、そういう羨ましいポジションは有能な人間が先に就いているというのがお決まりだ。無能な僕は、居たくないと苦しみながら居続けるしかない。のか。