ピリオドが訪れても

それは一旦の区切りでしかなくて、またダラダラ生きていくんだろうなあと思う。再びというか再々々度の失意のうちに、また一日一日を何の歩みもなくただ生きる。その中で、かつて志したはずの脱獄なんて言葉は頭の隅に追いやられて、その時その時を虚しく楽しむだけの生き物になる。
僕は一体何がしたいのだろう? 何になりたかったのだろう?
そう考えると、自分で生活の区切りというピリオドを打つことは容易いことだけれども、まだもう少しピリオドを打とうとする手を押さえた方が賢明のようだ。安定して金を稼げる=食っていける手段が現在の状況下でしか存在しない以上、馬鹿な真似はできそうにない。何になりたいだの何がしたいだのの前に、食っていかなければそれらさえ成し遂げようがなくなる。
そして、ピリオドを訪れさせるわけにはいかない、という結論に達してしまう。どうも僕は些細な出来事に敏感すぎるほど敏感なんだろう。大多数が動じないほんの小さな出来事にうろたえて、すぐダメになる。これがいけない。うろたえる必要なんてきっとないのだ。
と言いながら明日以降に環境が一変していたらうろたえるどころかすぐに逃げ出しそう。もう何も見えない。