人が死ぬ場所での立場

入院患者が亡くなると、薬がいけなかったのかなとかカルテを見て処方提案などできなかったのかなとか考えてしまうわけだ。けれども考えたって無駄も無駄で、例え解決法として利用できていたはずの手段が見付かったとしても、亡くなった人が還ってくるわけでもない。
そうして、慣れてしまう。非日常のはずの人の死に、慣れてしまう。週に一度ほど何号室の誰々さんが亡くなりましたという書類が来るが、入りたての頃こそ嫌とも何とも言いようのない気分になっていたものの、今ではもうそれが日常の一部になっていて、ああこの人が、と思いつつ容量の限られているコンピュータの患者リストから削除してしまっている。
ただ僕は患者と直接関わる立場になく、書類上の名前しか知らず容姿と関連付けて想像できないから、「慣れてしまう」などと生半可なことを思えるのだろう。看護師や医師であれば、それこそ毎日直接関わることになる。ほとんど寝たきりとは言え顔を合わせて、身体の様子を診て、バイタルサインのモニタから様々な医療処置や下の世話までしている。それが毎日と来れば、当然名前と顔が一致しているはずだ。顔どころか、全身の特徴まで一致しているのかも知れない。
名前で顔が思い浮かぶ、顔で名前が思い出せる、そんな人間が亡くなるのが日常だとしたら、心が病む。それでも、現場最前線の医師や看護師は慣れるのだろうか? 僕が同じ状況に置かれたとすれば、慣れる前に潰れてしまうかも知れない。
そんなだから、僕の立場なんて低くて当然だ。患者自身ではなくその名前と書類上や薬でしか関わらないから、慣れたつもりでいる。逆に考えれば、現場へ出て行けば簡単に死に慣れるなんてことはないのだろう。
しかし、僕が現場で一体何ができるのだろうか? 資格上、現場では何もできやしない。耳も聞こえず口も利けない患者に対して、薬の説明なんて何の意味も為さない。現場に行ったとしても、見物人以下の日和見感染症の要因でしかない。ただ現場から遠い部屋で、黙々と薬を作ることだけが許されている。
これでいいのだろうか。