できるだけ働きたくないなんて言えるわけがない

本心から「働きたい」と思いながら働いている人間なんているのだろうか? おそらくいるだろうと思う。ただそれはほんの一握りの、「働くこと」自体に何らかの意味や目的を見出している人間なんだろう。その他の大部分の人間は、「働くこと」ではない他の目的のために嫌々ながら働いているに決まっている。もっとも目的といっても「生活に必要な金のため」がほとんどのはずだ。
実際に僕も預金が無尽蔵にあるわけではないから、金を得るためには働かなければならない。特に秀でたアーティスティックな技術も持たないものだから、普通に組織に属してその中で働くしかない。
履歴書にはたいていの場合志望動機を書く欄があるが、僕の場合は八割方嘘っぱちだ。「今までの経験」? 合わせてたった一年ちょっとの経験で何ができるかよ。僕でもそう思うのだから、履歴書を受け取る側もそう思っているはずだろう。「地域に奉仕」? 奉仕できるほど存在感のある仕事なんてできない。積もっても山にならないチリ程度の奉仕しかできない。
そんな嘘っぱちの綺麗事ばかりの志望動機だ。何千と志望動機欄を見てきたことのある人間には、上っ面だけのペラペラな動機か情熱溢れんばかりの濃密な動機かなんてすぐ判別できるだろう。たかが志望動機欄、されど志望動機欄。それで志望者の本心は簡単に探られてしまうわけだ。そうして僕の志望動機はペラペラなものとして思われたかも知れない。
採る側としては、なるべく「本心から働きたい」と思っている人間を採りたいのが本音だろう。言い換えれば、その対極にある「働きたくない」人間を採ることは避けたがっている。志望者がそのどちらかに近いか判別するための匂いの一つが志望動機欄になる。
だから面倒臭いのだ。志望動機欄は面倒臭い。まさか志望動機として「生活のため」なんて書くことはできない。「だったら他でもいいじゃん」となる。ここに本当に働きたいかどうかが表れるんだな。
ただ採る側がどう捉えたかは分からないから、僕がこれ以上あれこれ言っても仕方がない。運良く拾ってもらえるといいんだがな。