働くこと

僕にとって「働くこと」は、戦争に行くというイメージと重なるものがある。もちろん戦争には行ったこともないし自衛隊に入ったこともないから実際に戦争に行くという感覚は全く解るわけがないけれども、それまでの生活から全く打って変わったものになるどころか戦地へ赴くことと同様に自分を捨てる覚悟がなければならないというイメージが「働くこと」にはある。つまり「働くこと」は、僕にとってそれだけ非常に「重い」ことに思えるのだ。
「働くこと」について、他人がどのように捉えているかは分からない。そして実際に働いている人がどのような感覚で働いているかも分からない。僕は少しの間正社員として勤めたけれども、僕の場合は「働くこと」はやはり重たいものだった。もう全てが重苦しい。
職場に到着。上司がいる。挨拶をする。上司とすれ違う。挨拶をする。仕事をする。疲れた。手を抜こう。いや皆見ている。手を抜けない。頑張ってますアピール。忙しい。疲れた。昼飯。上司がいる休憩室。一人で食わせろ。作り笑顔。したくもない雑談。再度仕事。疲れた。手を抜こう。いや皆見ている。頑張ってますアピール。忙しい。疲れた。お茶タイム。一人でゆっくりさせろ。作り笑顔。したくもない雑談。再度仕事。早く帰りたい。けれども誰も帰らない。職場の雰囲気が僕を帰さない。帰れない。意味もなくしなくてもいい雑用をしながら職場へ居続ける。上司が帰り始める。挨拶をする。帰れる空気が生じる。やっと帰れる。「今日飲み会だよね、君も行くでしょ?」。「もちろん行きます」。
ああ重苦しい重苦しい重苦しい重苦しい。詳細な状況を思い出すだけでも胸焼けを起こしかねない。僕は働いている九時間はずっと解放されない。ずっと職場という妖怪にのし掛かり続けられている。
おそらく僕は、「働くこと」というよりも「何らかの組織の中で」働くことが嫌であって、重苦しさを感じるのだろう。仕事を行うこと自体には、確かに疲れはするものの別に重苦しさは感じない。むしろそれに付随する周りとの人間関係や「空気」の方に気を遣うことが多かった。つまり、僕はやはり「組織」が嫌いなのだ。働くことは嫌いではないが、「組織に属して」働くことを嫌っている。
一人で働けということだろうか?