知り合いのサイト

高校の時に友達だった奴らは、幾人かサイトを持っている。その中には独自ドメインなんか取っているのもいて、メールアドレスもそのドメインから送られてくることもあった。だからサイトは明示的に「ここが俺のサイトだよ」などとは教えられたことがないけれども、そのドメインをアドレスバーに打ち込んで見に行ったことがある。
見に行って、もう見たくなくなった。別に僕の悪口が堂々と書かれていたりした訳ではない。みんながみんな、充実し過ぎている。充実した日常、充実した情報。そんなものばかりが載せられているから、もう見に行きたくなくなった。
けれども、見に行きたくない理由は「内容が充実しているから」だという訳でもない。内容の充実したサイトが駄目ならば、僕はイーサネットケーブルを今すぐ切断しなければいけなくなる。僕とは現実で何の関わりもない人間が書いている無数のサイトは、充実していようがなかろうが閲覧することには何の問題もない。
ではどうして、友達だった人間の充実したサイトを僕は見たくないのか。それは間違いなく、そのサイトが現実で知り合いの関係にあった人間のものだからだ。そして充実した情報の向こう側に、かつて僕と一緒の時間・空間を過ごした彼らがいるからだ。
一緒に過ごしたにも関わらず、彼らはふざけた生活を送っている僕とは違って仕事に趣味に忙しそうな毎日を送っている。サイトのどのページからも、彼らの素晴らしい状況が漏れ見えてくる。そんな彼らのサイトを見ていると、僕が一人だけ過疎地の無人駅のホームに取り残されているような気がして、僕は勝手に憂鬱になるのだ。彼らは何も悪くない。悪いのは、僕だ。
彼らのサイトは今日もきっと更新されているのだろうけれど、絶対に見に行かない。明日も、明後日も、明明後日も。永遠に、見に行かない。