働きたい度 45 %

予定通り銀行預金の残高が残り少なくなってきた。金額が減っていくのを見るのに従って、働きたい気持ちが増してきた。何しろ金がなくなれば、生きていくことはできないからだ。今さら親に頼るわけにもいかない。そう言う意味で、好きな物を好きなだけ買うという散財についての効果はあったようだ。僕の本能はまだいかれていない。僕はまだ十分まともだ。
ただやはり、働きたくても働けるのかという点についてのみ不安が残る。健康上の問題じゃない。雇用上の問題だ。
僕は二年近くものブランクがある。二年。普通の人が普通に働いていれば、軽く五百万は稼いでいたはずだろう。その間、僕は文字通り一銭たりとも稼いでいない。何をしていたか? 何もしていない。過去を悔やんでいるばかりで、前に進むことはおろか前を見ることも拒んでいた。この時が一生続けばいい、いやむしろ時を遡ってやり直したい、とさえ思った。要するに現実と、それに連なる過去を拒絶していた。
現実は嫌なことだらけだ。良いことなんて、一掴みもありゃしない。一度社会に出てからそう思った。人間関係はもちろん、働くことのつまらなさ、退屈さ、面倒くささ、そうした負の要素ばかりを感じ取って、こんなに働くことへの意欲と熱意のない人間が働き続けても自分にとっても社会にとっても良くないから辞めた。
働くために生活して、生活するために働く。それだけで完結してしまっている毎日を、13000 回は繰り返す。そうしているうちにいつの間にか老いていく。僕はそれが嫌なのだ。
それを避けるための極端な選択肢もないことはない。けれども僕は幸いなことに天涯孤独ではなかったから、その選択肢は選べない。結局、再び働き始める以外に真っ当に生き残る方法はないということに気付いた。
そうして今年中には働こうと思ってはいるものの、今一歩踏み出せない。せっかく働こうと意欲を出したところに面接で落とされたらどうなるか、あるいは働き出したところでまた働くことの負の要素の圧力に負けたらどうなるか。それを考えると、またあの「まだ働かなくてもいい」が僕に囁き掛けられて、僕の働き出そうとする意欲は半減する。
他人を欠陥人間だと貶めるような無自覚の無様な人間だけにはなっていないだけ、僕はマシかも知れない。